社交不安と回避への依存ついて
回避性パーソナリティ症はパーソナリティ症のひとつです。
アメリカでは有病率が2%を超えるとされています。
日本における内閣府の令和4年度の調査によれば、15歳から64歳までのひきこもり状態の人は、
推計146万人とされています。
これは人口に占める割合が、50人に1人ということであり、
その出現率がおよそ2パーセントであることを示しています。
しかし、ひきこもり状態の人のほとんどは、
おそらく回避性パーソナリティ症の診断を受けていません。
神経発達症(発達障害)、双極症(双極性障害)、抑うつ症(抑うつ性障害)
といった診断名は持っていたとしても。
さて、回避性パーソナリティ症に近い反応であるものに
「社交不安症(社交不安障害・社会不安障害)」があります。
私は個人的にこう思っています。というか、思わざるを得ないのですが、
「回避したくても回避できない人の相当数が社交不安障害になっている」と。
世の中にひきこもり状態の人が146万人だったとして、
「ひきこもりたくてもひきこもることができない人たち」は、
それを上回るほど多いのではないか、と予想するのです。
たとえば、日本財団による不登校傾向にある子どもの実態調査
(日本財団「不登校傾向にある子どもの実態調査」2018年)を参考にしますと、
いわゆる「不登校予備軍」は実際の不登校児童生徒数の3倍近い可能性があります。
不登校というものは、最終的に親がそのことを受け容れなくてはできないものです。
したがって、34万人の不登校(2024年度)は氷山の一角であり、
「不登校したくてもできない児童生徒」の数が、水面下に隠れています。
同様、「ひきこもりたくても、家族との関係性や生活のためにひきこもれない人たち」は、
辛い思いをしながら通勤通学をし、不安と緊張を抱えながら生活をしています。
「社交不安症」と「回避性パーソナリティ症」は別の種類の診断ですが、
そこに「生活条件や生活実態の違い」が隠れています。
在宅型不登校やひきこもり状態の人の中には、
相当数の「回避性パーソナリティ症の診断を回避された人たち」がいて、
さらに回避性パーソナリティ症には社交不安障害と同質の
「社交不安」が存在している可能性があります。
回避性パーソナリティ症と社交不安症の違いに、
「就学就労を回避できるかどうか」が隠れているとして、
それ以外の大きな違いを考えてみますと、
そこには「回避行動に対する依存性」があるように思います。
社交不安症の人が一般社会生活、とくに就学就労せざるを得ない辛さを抱えているとしたら、
回避性パーソナリティ症の人は、
回避行動に依存して抜け出しにくくなっているという辛さがある、わけです。
この「回避行動に対する依存性」には、
ごく小規模の配慮された「回避しない行動の成功体験」が有望な選択肢のひとつなのですが、
一般の人がどんなに低レベルの行動だと思っていても、そこには予想外の痛みが伴います。
経験のない人には、脚を複雑骨折して長く入院していた人のリハビリの辛さや苦労は想像しがたいのです。
「曝露療法(ばくろりょうほう。エクスポージャー)」という心理療法があります。
苦手なものにちょっとずつ触れながら、恐怖心や不安を小さくしていいく方法です。
薬物に頼らない方法の中では有望なものです。
曝露は、心理療法だけではなく、教育分野においても有効です。
心理療法との違いは、傾向としてですが「現実の場面で行われること」です。
そこで、在宅不登校やひきこもり状態の人は困ってしまうのです。
「学校や職場の訓練はハードルが高すぎるから」です。
学校や仕事は、「いちばん避けたい対象」であり、
「そのエッセンスが少しでも入っていれば警戒心のスイッチが入る」のです。
思春期の若者の心理援助でまっさきに思いつくのは「スクールカウンセラー」です。
スクールカウンセラーを活用するには、事実上、学校に登校しなくてはなりません。
「いや、そんなことはない。家庭訪問やメールや電話やFaceTimeやZoomにも対応できる」
という反論がありそうですが、では、こう言い直します。
「それでもハードルが高い」と。
成人の就労訓練でも似た状態です。
厚労省「就労支援のためのメニュー一覧」
「それでもハードルが高い」のです。
非常に強い対社会場面への不安・恐怖心・警戒心のことが
まだまだ理解されていないように感じます。
「ちょっとした簡単な場面」と思うのは支援側であって、
当事者側からしますと、回避行動をとりたい衝動が一気に噴き出すわけです。
「少しでも外に出そうとする動きには徹底抗戦する」
という人も珍しくありません。
「それほどの深刻な辛さ」というものがあるのに、
「ひきこもりは甘え」「甘やかされたからこころが弱い」
のような考えがまだまだ根強いと思います。
社交不安の背景には、その人が持っている「過敏さ」があるかもしれません。
しかし、それ以外に「トラウマ的出来事」があったのかもしれません。
トラウマという語を軽々しく使うつもりはありませんが、
過敏さを持った人にとって、心理的ダメージは何倍、何十倍にもなりえます。
そんな強烈な社交不安によって頑なな回避行動をとるようになった人が、
回避行動に依存した状態から、生活に支障のない状態にまでサポートするというのは、
いくつもの配慮すべき要素、学校では用意しがたい条件があり、
元教員として、一般の教員には難しいことだと思います。
既存の医療、心理支援、教育支援のみでは対応しきれない状態にあります。
アメリカでは有病率が2%を超えるとされています。
日本における内閣府の令和4年度の調査によれば、15歳から64歳までのひきこもり状態の人は、
推計146万人とされています。
これは人口に占める割合が、50人に1人ということであり、
その出現率がおよそ2パーセントであることを示しています。
しかし、ひきこもり状態の人のほとんどは、
おそらく回避性パーソナリティ症の診断を受けていません。
神経発達症(発達障害)、双極症(双極性障害)、抑うつ症(抑うつ性障害)
といった診断名は持っていたとしても。
さて、回避性パーソナリティ症に近い反応であるものに
「社交不安症(社交不安障害・社会不安障害)」があります。
私は個人的にこう思っています。というか、思わざるを得ないのですが、
「回避したくても回避できない人の相当数が社交不安障害になっている」と。
世の中にひきこもり状態の人が146万人だったとして、
「ひきこもりたくてもひきこもることができない人たち」は、
それを上回るほど多いのではないか、と予想するのです。
たとえば、日本財団による不登校傾向にある子どもの実態調査
(日本財団「不登校傾向にある子どもの実態調査」2018年)を参考にしますと、
いわゆる「不登校予備軍」は実際の不登校児童生徒数の3倍近い可能性があります。
不登校というものは、最終的に親がそのことを受け容れなくてはできないものです。
したがって、34万人の不登校(2024年度)は氷山の一角であり、
「不登校したくてもできない児童生徒」の数が、水面下に隠れています。
同様、「ひきこもりたくても、家族との関係性や生活のためにひきこもれない人たち」は、
辛い思いをしながら通勤通学をし、不安と緊張を抱えながら生活をしています。
「社交不安症」と「回避性パーソナリティ症」は別の種類の診断ですが、
そこに「生活条件や生活実態の違い」が隠れています。
在宅型不登校やひきこもり状態の人の中には、
相当数の「回避性パーソナリティ症の診断を回避された人たち」がいて、
さらに回避性パーソナリティ症には社交不安障害と同質の
「社交不安」が存在している可能性があります。
回避性パーソナリティ症と社交不安症の違いに、
「就学就労を回避できるかどうか」が隠れているとして、
それ以外の大きな違いを考えてみますと、
そこには「回避行動に対する依存性」があるように思います。
社交不安症の人が一般社会生活、とくに就学就労せざるを得ない辛さを抱えているとしたら、
回避性パーソナリティ症の人は、
回避行動に依存して抜け出しにくくなっているという辛さがある、わけです。
この「回避行動に対する依存性」には、
ごく小規模の配慮された「回避しない行動の成功体験」が有望な選択肢のひとつなのですが、
一般の人がどんなに低レベルの行動だと思っていても、そこには予想外の痛みが伴います。
経験のない人には、脚を複雑骨折して長く入院していた人のリハビリの辛さや苦労は想像しがたいのです。
「曝露療法(ばくろりょうほう。エクスポージャー)」という心理療法があります。
苦手なものにちょっとずつ触れながら、恐怖心や不安を小さくしていいく方法です。
薬物に頼らない方法の中では有望なものです。
曝露は、心理療法だけではなく、教育分野においても有効です。
心理療法との違いは、傾向としてですが「現実の場面で行われること」です。
そこで、在宅不登校やひきこもり状態の人は困ってしまうのです。
「学校や職場の訓練はハードルが高すぎるから」です。
学校や仕事は、「いちばん避けたい対象」であり、
「そのエッセンスが少しでも入っていれば警戒心のスイッチが入る」のです。
思春期の若者の心理援助でまっさきに思いつくのは「スクールカウンセラー」です。
スクールカウンセラーを活用するには、事実上、学校に登校しなくてはなりません。
「いや、そんなことはない。家庭訪問やメールや電話やFaceTimeやZoomにも対応できる」
という反論がありそうですが、では、こう言い直します。
「それでもハードルが高い」と。
成人の就労訓練でも似た状態です。
厚労省「就労支援のためのメニュー一覧」
「それでもハードルが高い」のです。
非常に強い対社会場面への不安・恐怖心・警戒心のことが
まだまだ理解されていないように感じます。
「ちょっとした簡単な場面」と思うのは支援側であって、
当事者側からしますと、回避行動をとりたい衝動が一気に噴き出すわけです。
「少しでも外に出そうとする動きには徹底抗戦する」
という人も珍しくありません。
「それほどの深刻な辛さ」というものがあるのに、
「ひきこもりは甘え」「甘やかされたからこころが弱い」
のような考えがまだまだ根強いと思います。
社交不安の背景には、その人が持っている「過敏さ」があるかもしれません。
しかし、それ以外に「トラウマ的出来事」があったのかもしれません。
トラウマという語を軽々しく使うつもりはありませんが、
過敏さを持った人にとって、心理的ダメージは何倍、何十倍にもなりえます。
そんな強烈な社交不安によって頑なな回避行動をとるようになった人が、
回避行動に依存した状態から、生活に支障のない状態にまでサポートするというのは、
いくつもの配慮すべき要素、学校では用意しがたい条件があり、
元教員として、一般の教員には難しいことだと思います。
既存の医療、心理支援、教育支援のみでは対応しきれない状態にあります。