「社会的行動に対する回避性」のこと
診断されない「パーソナリティ症」
精神科では、主に2つの診断基準が参考にされています。
ひとつは「DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」、アメリカ精神医学会の「精神疾患の診断と統計マニュアル」です。
もうひとつが「ICD(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」、WHO(世界保健機関)の「国際疾病と関連健康問題の統計分類(国際疾病分類)」です。
それぞれヴァージョンがあって、
前者は「DSM-5-TR(第5版改訂版」後者は「ICD-10(第10版)」が最新です。今回はDSM-5TRを元に書かせていただきます。
診断名の中に「パーソナリティ症」があります。
パーソナリティ症は以下の10種類に分類されています。
①懐疑性パーソナリティ症
②ジゾイドパーソナリティ症
③統合失調型パーソナリティ症
④反社会性パーソナリティ症
⑤ボーダーラインパーソナリティ症
⑥演技性パーソナリティ症
⑦自己愛性パーソナリティ症
⑧回避性パーソナリティ症
⑨依存性パーソナリティ症
⑩強迫性パーソナリティ症
なお、「特定不能」もあります。
このパーソナリティ症は、10種類を合計すると、
かなり有病率が高いことで知られています。
以下は複数の疫学研究の中央値です。
①懐疑性パーソナリティ症・・・3.2%
②ジゾイドパーソナリティ症・・・1.3%
③統合失調型パーソナリティ症・・・0.6%
④反社会性パーソナリティ症・・・3.6%
⑤ボーダーラインパーソナリティ症・・・2.7%
⑥演技性パーソナリティ症・・・0.9%
⑦自己愛性パーソナリティ症・・・1.6%
⑧回避性パーソナリティ症・・・2.1%
⑨依存性パーソナリティ症・・・0.4%
⑩強迫性パーソナリティ症・・・4.7%
合計すると、有病率は21.1%にもなります。
もちろん、複数の症状を同時に抱えている人もいますから、
この数字を単純に受け取ることはできません。
ただ、「双極症(旧訳名「双極性障害」、その前は「躁うつ病」)」や
「抑うつ症」を足した有病率より高いのです。
この「パーソナリティ症」の問題は、
「非常に高い確率で診断を回避されている可能性が高い」ということです。
私は実数で約2500件の在宅型不登校のデータに触れてきましたが、
パーソナリティ症の診断名を、ほとんど見たことがありません。
「自分はそうではないかと思う」という話を何度か聞いた程度です。
いっぽう、神経発達症(旧訳名「発達障害」、その前の呼称は「軽度発達障害」)や、「自閉スペクトラム症」は割と耳にします。
診断が回避される理由
パーソナリティ症の診断が回避される理由はいくつかあると考えられます。
ひとつは、「診断のためには長期に渡る丁寧な観察や調査が必要だから」です。病院やクリニックを尋ねてくるということは、何かしら困ったことが起きているわけで、「眠れない」「気分が落ち込む」「不安になる」などの訴えが先行しがちです。
ひとつは、「診断したとしてもパーソナリティ症そのものの薬が無い」ということです。どうしても症状別に診断し、薬を処方する対応をとることが多くなってしまいます。対症療法をせざるを得ないわけです。
ひとつは、「その名称」です。「パーソナリティ症」は、以前は「パーソナリティ障害」、さらにそれ以前は「人格障害」と訳されていました。呼び方はマイルドになってきてはいるものの、「性格の問題」と受け取られたり、
その人の人格を否定するような印象を与えたりする恐れがあります。
ひとつは、「診断のメリットが無い」ということです。いわゆる「手帳」をとることができないか、難しい。そのため、福祉的なサービスの多くを受けることができません。障害年金も難しい。そうなると、診断をつけても、当事者を困惑させるだけかもしれないのです。
私は、パーソナリティ症の診断が回避されていること自体は、臨床医の配慮や思いやりを感じます。ただ、「診断名があり、有病率が高いとされながら、唯一診断の権利を持っている医師が診断を回避している現状」に、まったく問題が無いとは言い切れません。
「本当の困りごと」が理解されにくい
心理カウンセラーや福祉関係者、教育関係者らは、診断ができません。医師の診断は、家族・当事者に伝えられ、家族・当事者から診断名を受け取ります。医師から診断や障害の名前を伝えられたら、たいていの真面目に取り組んでいる現場では、その診断名を尊重して対処します。「医療機関からの一方通行の治療優先指示」になりやすいのです。医師にそのつもりがなかったとしても。
しかし、教育関係の現場などでは、おそらく「パーソナリティ症群」のそれぞれの解説にこそ、目を引かれるのではないでしょうか。現場で「困った子」と思われている・思われてきた子ども像を網羅したかのような記載が続いているからです。
しばしば現場で言われてきた「困った子は、困っている子」という表現は、
ほんとうにそうだなあと思います。教育現場での解像度は「現時点では神経発達症の基本的な理解がようやく進んできた」というレベルではないでしょうか。
現場でも親でも本人でも、神経発達症の話はよく出てくるのです。しかし、「この子には自閉スペクトラム症の診断がある」という事実が先行した場合、そこに集団生活上の問題が出てくると、「発達症だからね」という解釈で支援・指導が行われてしまう可能性があります。
在宅型不登校家庭の場合、学校や教育機関への信用が低下していることはままあり、相対的に医療機関や心理支援のほうが信頼されていることは、ごく普通に感じられます。しかし、たとえ回避性パーソナリティ症の診断がどうであれ、民間のサポート機関としては「社会的行動に対する極端な回避性」のことは、考えざるを得ませんでした。
私たちは「回避性パーソナリティ症」の診断とは別に「社会的(社交的)行動に対する回避性」のことを考えていきます。私は医療機関を批判したり、診断名や診断っぽいことを推し進めようということを言いたいわけではなくて、「より一層その人の困りごとを知ろうとする」ということを言いたいのです。