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ブログ『誤解だらけの不登校対応』

「寄り添い」の誤解 その1

私は、支援業に携わる者が自ら
「寄り添います」「寄り添ってきました」と表現することがキライです。
利用者が「寄り添ってもらって嬉しかった」
と表現することは問題ありません。
自分から言ってしまうのが、
古本の「高価買取」や飲食店の「うまい!」の看板のように思えるのです。
高価で買い取ってくれたかどうかは、売った人が決めることだと思います。

人はいつでも同じ、
たったひとつの意志を持ち続けているわけではありませんよね。
しばしば矛盾した複数の考えを持って生きています。

その人物が不登校だったり、ひきこもり生活だったりした場合、
私の経験では、かなり高い割合で矛盾した考えを持っていました。
大雑把に言いますと、
「短期的欲求」と「中長期的欲求」に根差した考えです。

短期的欲求は
「嫌悪する対象や、不安・恐怖を回避したい」
「心理的安全があり、気持ちを上向かせる趣味・娯楽に「集中したい」
「やる気の湧くことはしたいが、そうでないことはしたくない」
といった、正直な目先の欲求どおりの考えです。
不登校やひきこもり生活をしている人たちは、
この欲求をベースに生活している人がたくさんいます。

では、その人たちがずっとそのままを望んでいるかといえば、
少数の人たち以外は、望んでいませんでした。
「ずっと親に養われるのは避けたい」
「自分の力でお金を稼いでみたい」
「独り暮らしをしてみたい」
「リアルな心を許せる人間関係が欲しい」
のような考えも持っている、
あるいは「持っているけれど諦めている」ような
中長期的欲求を持っていました。

こうした矛盾する欲求や考えを持っている人に対して、
「寄り添う」とはどういうことになるでしょうか?
私の考えは「短期的欲求と中長期欲求の両方に寄り添うこと」です。

ところが、
「ひきこもりのあなたのままでいいんですよ」とか
「動き出すことを応援しますよ」とか、
矛盾する欲求のどちらか一方だけに寄り添っている場合、
支援者が「寄り添います」「寄り添ってきました」と言っていると、
「ん?」と思ってしまうのです。

そして。
私はこうも思ってしまいます。
「短期的欲求と中長期的欲求の両方に寄り添う」ということは、
「【そのどちらにも寄り添わない】ということになる」と。

矛と盾の両方を応援するということは、
どちらも応援しないということと同じなのです。


<つづく>
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