わが子と自分にガッカリしないで
別記事「学校のお尻を追いかけない」でも書きましたが、「これがダメならこれ」のように、だんだんレベルを下げていってどこかに引っかかることを祈るような取り組みは、ガッカリの繰り返しになりやすいというデメリットがあります。受験校の偏差値レベルをどんどん落としていくような感じに似ています。
学校のお尻を追いかける過程でもっとも懸念されることは「教育の質が低下すること」です。端的に言えば「表面的な取り繕いが優先され、正味で得るものが小さい」という状態になることです。典型的なのが「とりあえず高卒」「なんとしてでも高卒」です。
ホームエデュケーションに向かわず、早々に学校のお尻を追いかけるのをやめる人たちがいます。「中卒・高卒で就職する人たち」です。昔からいるこのタイプの人たちは、学力学歴で勝負せずに別のルートで生きていく人たちです。ただ、長期在宅型不登校の人たちは選びにくい傾向があります。
長期在宅型不登校の人たちが学校のお尻を追いかけることから降りるのは、おもに下記のパターンです。
①学校のお尻を追いかけてどこかに引っかかったとき
②学校のお尻を追いかけるのを諦めたとき
③学校のお尻を追いかけるのをやめたとき
です。私たちは③をお勧めしています。
③は親の教育的態度や子どもの自尊心の観点からみて、けっして質の良いものではありません。
べつに教育支援センターやフリースクールや通信制高校を選択することが質を低下させるのではなく、「お尻を追いかける発想」が質を下げています。「あくまでわが子に合った選択」と考えて親子で納得して取り組んでいる場合と、「本当は学校に行って偏差値高めの学校に進学してくれたら嬉しかったけど」といった思いを抱きながら取り組む場合とで、選択は同じでも質が違ってくる、ということです。
子育てとか教育といったものは、子どもや親自身にガッカリしながらやっていくものではありません。
学校もフリースクールも通信制高校も、すべては「道具」です。お子さんをあちこち削って適応させる対象ではなく、お子さんが主役で、お子さんの成長の道具として便利そうだから選ぶだけです。この「子どもをど真ん中に据えて教育手段を道具視する」というのは、子どもや自身の子育てにガッカリしないコツでもあります。
学校のお尻を追いかける過程でもっとも懸念されることは「教育の質が低下すること」です。端的に言えば「表面的な取り繕いが優先され、正味で得るものが小さい」という状態になることです。典型的なのが「とりあえず高卒」「なんとしてでも高卒」です。
ホームエデュケーションに向かわず、早々に学校のお尻を追いかけるのをやめる人たちがいます。「中卒・高卒で就職する人たち」です。昔からいるこのタイプの人たちは、学力学歴で勝負せずに別のルートで生きていく人たちです。ただ、長期在宅型不登校の人たちは選びにくい傾向があります。
長期在宅型不登校の人たちが学校のお尻を追いかけることから降りるのは、おもに下記のパターンです。
①学校のお尻を追いかけてどこかに引っかかったとき
②学校のお尻を追いかけるのを諦めたとき
③学校のお尻を追いかけるのをやめたとき
です。私たちは③をお勧めしています。
③は親の教育的態度や子どもの自尊心の観点からみて、けっして質の良いものではありません。
べつに教育支援センターやフリースクールや通信制高校を選択することが質を低下させるのではなく、「お尻を追いかける発想」が質を下げています。「あくまでわが子に合った選択」と考えて親子で納得して取り組んでいる場合と、「本当は学校に行って偏差値高めの学校に進学してくれたら嬉しかったけど」といった思いを抱きながら取り組む場合とで、選択は同じでも質が違ってくる、ということです。
子育てとか教育といったものは、子どもや親自身にガッカリしながらやっていくものではありません。
学校もフリースクールも通信制高校も、すべては「道具」です。お子さんをあちこち削って適応させる対象ではなく、お子さんが主役で、お子さんの成長の道具として便利そうだから選ぶだけです。この「子どもをど真ん中に据えて教育手段を道具視する」というのは、子どもや自身の子育てにガッカリしないコツでもあります。