「このままひきこもりになったら困る」が困る
「このままひきこもりになったら困る」は、多くの親の頭をよぎることだと思っています。
しかし、「なぜ社会的活動を拒むのか」などを考えずに、「対人交流」「外出」「学習」「生活習慣改善」などに踏み出してしまうことはお勧めしていません。なぜなら、「逆効果だから」です。
当団体は、「不登校はひとくくりにせず、『人それぞれ』で思考停止せず、ある程度分けて考えるべき」という立場です。中には「登校も進学も就労もさせるべきではない」という人がいます。必ず。
いっぽう、そのような人たちは全体から見れば少数であり、多数は就学就労します。当団体会員の若者は入会時にほとんどが在宅型不登校やひきこもり状態ですが、大多数が実際に就学就労しています。「このままひきこもりになったら困る」は、「在宅中心生活が他の選択肢よりベターな状態な若者」に対しては不適切です。進路に追い込むことが一層親子間の不信を招き、関係が悪化し、社会的活動を一層回避するようになる可能性が高いからです。
そして、「このままひきこもりになったら困る」は、就学就労する多数の若者に対しても不適切です。その理由は、「いったん就学就労に追い込むことは可能かもしれないが、継続可能性を低下させやすいから」です。「いつまで家にひきこもっているつもりだ。就職、さもなくば進学しろ。そうでないなら家から追い出す」のようなことを言って脅かせば、親と徹底抗戦したり「じゃあ死にます」「誰か殺してきます」といった極端な対抗策をとらない若者は、就学就労するしかないと考えるでしょう。でも、考えて欲しいのは、その若者の就学就労後の定着率です。とにかく、動機が暗すぎ・後ろ向きすぎるのです。
社会的活動を拒む理由の多くは「不安・恐怖」です。「もしそうしたらどうなるか」を予想したとき、「失敗する世界線しか思い浮かばない」わけです。「きっとうまくいくだろう」と思える経験が少なく、残念な記憶で満たされているからです。この「不安・恐怖」に対抗できるのは、「より大きな恐怖」を与える脅しではなく、「安心」です。
ですから、「このままひきこもりになったら困る」は、一層親子を困らせる可能性がある考え方なので、お勧めしていません。
「安心したら、かえって快適なひきこもり生活を継続してしまうのではないだろうか」という考えは理解できます。その側面はあり得るからです。この問題も分けて考える必要があります。人には「短期的欲求」と「中長期的欲求」があります。家庭内で安心して過ごせるようになるのは「短期的欲求」満たされてる状態です。しかし、中長期的欲求は満たされていません。ですから、目先の安心が確保されていたとしても、その若者は中長期的に不安なはずです。「このままでいいのだろうか?」「親が死んだらどうなる」「自分だっていつまでもこのままでいたいわけじゃない」といった思考が生まれる人にとって、目先の安心だけで安心した生活が送れるわけがありません。じつは「このままひきこもりになったら困る」は、多くの当事者が考えていることです。
順序としては、まず「目先の心理的安全確保」です。すると当面の脅威のことを考えなくても生活できるようになります。それができると、その若者に社会的欲求があれば、それが頭をもたげてくるはずです。「これからの自分のこと」を考えるようになります。ですから、「安心できる居場所が、次のステップの足掛かりになる」わけです。
もちろん、社会的欲求は就学就労だけで満たされるものではありませんが、今の社会制度・文化の中では、結果的に就学就労を選ぶ人は多いです。目先の心理的安全が確保された若者が、自分から社会的欲求充足に動くためには、「自他への信用」が重要になります。大きな不安は「想定不安(予期不安)」です。とくに直接間接問わず人間関係に関するものでしょう。すると、就学就労に手を付けるより前に、「できた」「うまくいった」という経験が役立つはずです。
ですから、私たちは「いかにも進路」のようなサポートより前に、「家庭における心理的安全の確保」をまずは目指し、それができてから「その人の中長期的欲求の充足」のために、その人の欲求にしたがって「社会的活動に踏み出す前の成功体験の積み重ねや不安軽減」ができるようお手伝いをしています。
なので、「様々な理由で今現在、在宅生活を充実させることが大切な人」や「在宅中心に学んだり仕事をしたり、仕事に関係なく社会的活動を行うことで精神も経済も問題なく生活できる人」などに望まれない進路支援をすることはありません。あくまで効果的かつ望まれるサポートをしています。
しかし、「なぜ社会的活動を拒むのか」などを考えずに、「対人交流」「外出」「学習」「生活習慣改善」などに踏み出してしまうことはお勧めしていません。なぜなら、「逆効果だから」です。
当団体は、「不登校はひとくくりにせず、『人それぞれ』で思考停止せず、ある程度分けて考えるべき」という立場です。中には「登校も進学も就労もさせるべきではない」という人がいます。必ず。
いっぽう、そのような人たちは全体から見れば少数であり、多数は就学就労します。当団体会員の若者は入会時にほとんどが在宅型不登校やひきこもり状態ですが、大多数が実際に就学就労しています。「このままひきこもりになったら困る」は、「在宅中心生活が他の選択肢よりベターな状態な若者」に対しては不適切です。進路に追い込むことが一層親子間の不信を招き、関係が悪化し、社会的活動を一層回避するようになる可能性が高いからです。
そして、「このままひきこもりになったら困る」は、就学就労する多数の若者に対しても不適切です。その理由は、「いったん就学就労に追い込むことは可能かもしれないが、継続可能性を低下させやすいから」です。「いつまで家にひきこもっているつもりだ。就職、さもなくば進学しろ。そうでないなら家から追い出す」のようなことを言って脅かせば、親と徹底抗戦したり「じゃあ死にます」「誰か殺してきます」といった極端な対抗策をとらない若者は、就学就労するしかないと考えるでしょう。でも、考えて欲しいのは、その若者の就学就労後の定着率です。とにかく、動機が暗すぎ・後ろ向きすぎるのです。
社会的活動を拒む理由の多くは「不安・恐怖」です。「もしそうしたらどうなるか」を予想したとき、「失敗する世界線しか思い浮かばない」わけです。「きっとうまくいくだろう」と思える経験が少なく、残念な記憶で満たされているからです。この「不安・恐怖」に対抗できるのは、「より大きな恐怖」を与える脅しではなく、「安心」です。
ですから、「このままひきこもりになったら困る」は、一層親子を困らせる可能性がある考え方なので、お勧めしていません。
「安心したら、かえって快適なひきこもり生活を継続してしまうのではないだろうか」という考えは理解できます。その側面はあり得るからです。この問題も分けて考える必要があります。人には「短期的欲求」と「中長期的欲求」があります。家庭内で安心して過ごせるようになるのは「短期的欲求」満たされてる状態です。しかし、中長期的欲求は満たされていません。ですから、目先の安心が確保されていたとしても、その若者は中長期的に不安なはずです。「このままでいいのだろうか?」「親が死んだらどうなる」「自分だっていつまでもこのままでいたいわけじゃない」といった思考が生まれる人にとって、目先の安心だけで安心した生活が送れるわけがありません。じつは「このままひきこもりになったら困る」は、多くの当事者が考えていることです。
順序としては、まず「目先の心理的安全確保」です。すると当面の脅威のことを考えなくても生活できるようになります。それができると、その若者に社会的欲求があれば、それが頭をもたげてくるはずです。「これからの自分のこと」を考えるようになります。ですから、「安心できる居場所が、次のステップの足掛かりになる」わけです。
もちろん、社会的欲求は就学就労だけで満たされるものではありませんが、今の社会制度・文化の中では、結果的に就学就労を選ぶ人は多いです。目先の心理的安全が確保された若者が、自分から社会的欲求充足に動くためには、「自他への信用」が重要になります。大きな不安は「想定不安(予期不安)」です。とくに直接間接問わず人間関係に関するものでしょう。すると、就学就労に手を付けるより前に、「できた」「うまくいった」という経験が役立つはずです。
ですから、私たちは「いかにも進路」のようなサポートより前に、「家庭における心理的安全の確保」をまずは目指し、それができてから「その人の中長期的欲求の充足」のために、その人の欲求にしたがって「社会的活動に踏み出す前の成功体験の積み重ねや不安軽減」ができるようお手伝いをしています。
なので、「様々な理由で今現在、在宅生活を充実させることが大切な人」や「在宅中心に学んだり仕事をしたり、仕事に関係なく社会的活動を行うことで精神も経済も問題なく生活できる人」などに望まれない進路支援をすることはありません。あくまで効果的かつ望まれるサポートをしています。