何もできないときにそばにいるということ
子どもの中には、「今は教育的な・前向きな働きかけをしないほうがよい」という子が確実にいます。とくに「死にたい」「殺したい」などと本気で口にしているような場合です。このようなケースでは、親も相当に苦しんでいることが予想されます。他人から「そんなのはこうすればいいんだ」「親が甘やかすからこんなことになったんだ」などと言われるかもしれませんが、「それしきのことでどうにかなるならこうなっていない」と思います。すぐに強硬策を言い出す人は、成功したら「ほらな」という顔をしますが、失敗したら「あなたのやり方が悪い」と言ってくるでしょう。強硬策の成功率はさほど高くなく、リスクのほうが高く感じられるでしょう。なぜなら状況の理解と見通しが「甘い」からです。
厳しい、なかなか出口が見つからないような状況に置かれた親は、「夜泣き」を思い出して欲しいと思います。赤ちゃんが激しく夜泣きをしているとき、ミルクをあげてもだめ、抱いてトントンしてもだめ、おむつを替えてもだめ、涼しくしても温かくしてもだめ、歌をうたってあやしてもさすってもだめ。そんな夜泣きのとき、何をしても通じないときに、それでもそばを離れない親というのは「寄り添いそのもの」だと思います。
何かうまい策があったり、良い結果が出ていたりするのは意欲が湧きます。しかし、八方塞がりのようなときにも離れずにいるというのは、なかなか難しいものです。「逃げたいような気持にもなるが離れずにいる」ということに対して、私はもっと高い評価が与えられてしかるべきではないかと思います。「寄り添う」などという言葉は、支援者が自らを指して軽々しく言うようなことではなく、これまで寄り添ってきた親に向かって言うべきことだと思います。
厳しい、なかなか出口が見つからないような状況に置かれた親は、「夜泣き」を思い出して欲しいと思います。赤ちゃんが激しく夜泣きをしているとき、ミルクをあげてもだめ、抱いてトントンしてもだめ、おむつを替えてもだめ、涼しくしても温かくしてもだめ、歌をうたってあやしてもさすってもだめ。そんな夜泣きのとき、何をしても通じないときに、それでもそばを離れない親というのは「寄り添いそのもの」だと思います。
何かうまい策があったり、良い結果が出ていたりするのは意欲が湧きます。しかし、八方塞がりのようなときにも離れずにいるというのは、なかなか難しいものです。「逃げたいような気持にもなるが離れずにいる」ということに対して、私はもっと高い評価が与えられてしかるべきではないかと思います。「寄り添う」などという言葉は、支援者が自らを指して軽々しく言うようなことではなく、これまで寄り添ってきた親に向かって言うべきことだと思います。