進学・就職は出口ではない
中学・高校は、進学先を一つの教育の成果として掲げ、大学や専門学校は主な就職先や就職の内定率などを掲げています。かつて不登校だった若者も、高校に進学したり、高校卒業資格を得て大学や専門学校に進学したり、就職したりしますと、「不登校の出口」を出たように感じるものです。
しかし、私が見てきた現実はそうではありませんでした。進学や就職は、出口ではなく「入口」だったのです。
小中学校の不登校は、一つの「ヒント」であり、「前触れ」のようなものかもしれません。人間集団・社会の中で活動し、ある場面、状況、条件に出遭うと、異常なストレスが発生し、それが蓄積すると、撤退して引きこもりたくなるという傾向がある、ということを示している可能性があります。
例えば、フリースクールや通信制高校、サポート校、大学、専門学校では、不登校したときのような場面、状況、条件に出遭わず、かつて不登校であったことが信じられないほどに充実し、適応した生活が送れるということがあります。肯定的に受け入れられ、自己開示し、やりたいことが主体的にできるような、そんな恵まれた環境に出会えたのかもしれません。
不登校後に、そのような不適応が起きにくい環境で過ごせた若者が、果たして同じように充実し、適応して行けるかどうかが問われるのが、「進学・就職後」です。特に「正社員として就職したあと」です。
「せっかく不登校から立ち直って、うまくやっていたのに」というケースは、よく考えてみると、「勉強についていけている」「友達ができた」「明るくなった」「活動的になった」といった表面的な評価による見え方だったかもしれません。「単位が取れている」「人間関係ができている」「卒業できそうだ」といった事実から「順調だ」と考えていたのかもしれません。しかし、例えば「急に、せっかく勤め出した会社を辞めてきて引きこもってしまった」というケースは、そのような事実は案外無力です。
実際の不適応は、他者の影響ですと「理不尽な言動」が代表的です。中学時代の理不尽ないじめ・イジリ・からかいによって不登校になった子どもがいたとします。彼はフリースクールや通信制高校の通学コースで平和で優しい友達や大人に出会って元気を取り戻し、自信をつけて大学に進学、就活を経て狙った業界に就職できたとします。その彼が、就職後には厳しさを通り越した理不尽な要求や、外からは見えない不正義、常軌を逸した顧客からのクレームなどに出遭ったとき、彼の理不尽に対する反応は変わっていなかったことに気づくのです。
彼は理不尽が嫌で嫌でたまらないのに、理不尽に出遭うとそのことで全てが台無しになります。理不尽に出遭うと、いつも彼だけが損をし、あらゆることに対する明るい感情が消え失せてしまいます。
ですから、「優しく平和的な恵まれた環境で育つこと」は素晴らしいことですが、同時に「その子が現実の美しくない状況に置かれたときに、1人だけ潰されてしまわないような条件」を備えていくことが、新たな入口に立つときこそ、重要になってくるでしょう。