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ブログ『誤解だらけの不登校対応』

「引き算の教育」


 「みんな仲良く」という教育には、大きなリスクが潜んでいます。そもそも、出会った人全員と仲良くできる大人はいません。自分ができていないことを子どもに求めること自体もリスクです。


 「みんな仲良く」という「理想」を子どもに求めた場合、「それができないのはダメなことだ」ということになります。わが子が多くのクラスメイトの人気を集め、仲良しグループをつくり、楽しく快活に学校生活を送って欲しいという親の「理想」は、それが達成できなかったとき、子どもへの刃になるわけです。



 若者がたかだか一つ二つの学校のクラスや部活に合わなかっただけで「人生に疲れた」「生きている意味がわからない」「消えてしまいたい」と思わせてしまう背景には、「その子自身の問題」や「学校の問題」以前に、「理想の刷り込み」があるかもしれません。


 


 理想の刷り込みは、「良かれ」ですから、そこに問題があることになかなか気づきません。「こうなって欲しい」「こんなふうに幸せになってほしい」は、親心です。気が付かない人は一生気が付きません。「良かれの理想」は、それが達成できた場合には親子ともに喜びとなるかもしれませんが、「そうならなかった場合」に「不幸」が出現します。理想へのこだわりが強ければ強いほど、その挫折感、意欲の減退は強く、人によっては、すさまじいものがあります。「大失恋」「大切な人の死」と同じような状態になったり、「人生を終わりにしたくなるほどの絶望」につながったりします。



 子どもの完璧主義や極端な白黒思考があったとき、「あの子はこだわりが強くて」と、あたかも「親はそうではないのに」というニュアンスで語る人は少なくありませんでした。しかし、本当に子どもだけが勝手にこだわったのでしょうか。


 


 こだわりに対して「こだわるな」は、全く効果のないアドバイスです。こだわらなくなるには、「白と黒の間」が細かく認識されることが必要です。もっともわかりやすいのは、通信制高校のレポートの点数基準です。


 白黒思考のある人は、最初だけ緊張して時間をかけ、ほぼ100点のレポートを提出してきます。文字も時間をかけて書き、その子にとっては非常に丁寧なものになっています。そして、そのままですと、その子は80点未満の点数を受け取った場合、意欲が著しく減退します。また、毎回白点を目指すので、一枚あたりの労力が負担になってきて、提出を諦めたりしやすいのです。「だいたい、文字が丁寧でなく、空欄や間違いがあっても提出してくる人」は、単位を取りやすい傾向があります。


 


 もし、「本レポートの目標点数は65点以上です。合格点は50点以上です」とか「それぞれのレポートの点数より、早めの提出を重視します」とか「文字は正確で読みやすく書くべきですが、文字の美しさに点数はつきません」とか「不合格でも、再提出のレポートが50点以上になったら合格とします」といった「完璧主義対策」をしておくと、レポートの提出率は上がります。イーズ高校コースでは「人によっては100点が続いた場合、ヒヤリングをすることがあります」「通信制高校レポートでは完璧主義は0点主義」のようなことをガイダンスで言うことがあります。


 


 これまでの教育は、あまりにも理想主義的であり、「足し算の教育」でした。何でも頑張れ、何でも全力、何でもやり遂げ、何でも我慢し、といった教育が「足し算の教育」です。しかし、いったん完璧主義で理想にこだわるあまり現実を悲観して0点ばかりとるような人には、「引き算の教育」が必要です。


 


 よく言われる「70点主義」「60点主義」のような発想を、実際に行動に移してみると、労力は半減しますし、継続して結果を出すことや、継続による蓄積の効果を実感しやすくなります。


 


 完璧主義になっている場合「足し算の教育」がパフォーマンスを下げてしまうことはよく起き、ぎゃくに「引き算の教育」によって、実質的に成果が上がるということがよく起きます。


 


 


 


 

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