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ブログ『誤解だらけの不登校対応』

「適応」の誤解



 「適応」と一口に言っても、「心身が安定して長続きしている適応」と「ギリギリなんとか苦痛を感じるほどの我慢を自分にムチうつような感じで続けている適応」とでは雲泥の差です。後者の適応は適応とは言えず、むしろ「不適応がすでに起きている状態」です。早晩辞める可能性が高く、辞めたあとは「もうアレは無理」と考えやすいでしょう。


 


 ですから、「表面的に続けていること」をもって適応とは言えず、「脳がある程度リラックスしている状態が継続されていること」をもって適応と考えるべきです。となれば、目指すべきは「脳内のリラックス」です。身体が休んでいても、脳内が過度の緊張状態であれば、それはリラックスとは言えません。


 


以下の条件、


・生活習慣を改めようとしはじめた


・外出するようになった


・電車やバスなどの公共交通機関で移動できるようになった


・友達ができた/いる


・高校やフリースクールに通い始めた


・高校やフリースクールで楽しく過ごしている


・アルバイトに慣れた


・自分から勉強するようになった


・大学/専門学校を卒業した


・就職した


 


 これらは、「具体的活動が継続されているかどうか」ではなく、「緊張や不安が緩和され、リラックスして臨んでいるかどうか」を見るべきです。初期の緊張は仕方ありませんが、いつまで経っても過度な緊張や不安が緩和されなければ、適応している状態ではなく、かつての「不登校前夜」と同じような状態です。


 


 そして、「現在リラックスして適応できている」としましょう。その次は「新たな次の段階や別の場所に行っても適応できるかどうか」を考えます。もしかしたら、その適応が「周囲の手厚い配慮や、要求レベルの低さによって得られている」という限定条件下の適応かもしれないからです。


 


 「ある程度、汎用性のある適応を可能にする状態」であるには、


・理不尽な状態に出遭ったときの対処


・完璧主義/白黒思考の緩和


・体調や精神状態の安定


・複数の精神的支え


・学習や作業等への慣れ


・性格や興味関心とのマッチング


・自分の意見を伝える技術


・他者に誤解されないふるまい


 


 などが重要になってきます。表面的成功ではなく、これらの諸条件が満たされていくほうが、結果として「ほんとうの適応」に貢献するでしょう。


 


 「優しいスタッフたちが多くの気配りをしてくれて、そのおかげでやっていられる」は福祉サービスや就学就労の入口としてはよいものの、そのままではそのような場を離れることができません。できるだけ主体的に生きていくために、障害等で変化することができない人以外は、少しずつ実社会に出たときの身を守る知恵や人間関係を育てていくことが、長い目でみたときの「ほんとうの適応」につながっていくと考えます。

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