「働かない若者」の誤解
約1100万世帯を超えていた専業主婦世帯は、2024年に約508万世帯と、半減しています(総務省統計局「労働力調査特別調査」、総務省統計局「労働力調査(詳細集計)。代わりに「共働き世帯」は約600万世帯から約1300万世帯と倍増。2000年あたりを境に逆転しました。つまり、女性の労働人口が著しく増加したわけです。
また、定年後に働く高齢者も増加しました。1987年、65歳以上の労働力参加率は男性36%、女性15%でした。これが2020年時点では65歳~69歳で男性約60%、女性約40%、70歳~74歳で男性41.3%、女性24.7%になっています。つまり、高齢者の労働人口も著しく増加したわけです。
さらに、近年では外国人労働者も増加しており、「女性・定年後の高齢者・外国人」の労働人口増加によって、少子高齢化の中ではありますが、日本の就業者人口は1980年に5700万人台であったものが、2024年に7000万人前後にまで増加しています。しかし、労働力人口(15歳以上の働く意思・能力がある人+失業者)はやはり少子化のために今後減少していくことが予想されています。
このような傾向が家庭内でどう影響しているかといいますと、「うちのお母さんは働いている。お父さんは定年後も働く」といった家庭が増えていることで、「いい年をして働きもせず、家の中でこもっているとは何事だ」と思われやすい、ということです。
「働けない若者」というのは、どの時代でも常にいるわけですが、今の時代は「自室で夜中にゲームや動画視聴などの娯楽を長時間して過ごし、たいした家事もせずに朝は好きな時間に起きてきて、経済的に自立しようともせず、親の稼ぎに依存して無為に時間を過ごしている」ように見えます(実際そのような生活をしている人は多い)。つまり「働けない若者が、”働かない若者”に見える」のです。
2002年、日本の失業率は5.36%でした。失業率が高いと、「働く気がないのではなく、なかなか仕事が見つからないのだろう」と思われやすいものです。スペインの場合、年によって失業率の変動が大きいのですが、2002年に11.1%だった失業率は2013年に26.1%まで上昇しました。日本は今のところ、世界的に見れば失業率が低めの国であり、働けない若者が「働かない若者に見えやすい国」です。
「働けるくせに働かないで楽をしている」と見れば、その若者は「悪人」に見えてきます。年をとっても親を働かせ、自分は楽をして遊んでくらしている、そのように見えやすいでしょう。そして、まさにその通りに見てしまったとき、問題は深刻化するでしょう。
私たちの経験の範囲で言えば、たしかに能力的に一般就労可能な若者は非常に多く、福祉のサポートにつながるケースは稀です。しかし、「働けない理由」が他にあります。もはや就労は知的能力や身体能力だけでは理解しきれないでしょう。
就労は、不登校やひきこもりの経験者で未だ就労で自信をつけたことがない若者にとっては、非常に大きな心理的障壁です。「それをすれば確実に大きなダメージをくらうもの」です。だからこそ、回避することに意味が出てくるわけです。
そのダメージの中でも「能力的にはできるのに学校に行かない、働かない人間はダメ人間」のような差別的な見方や考え方が、自尊心に大きな傷をつけます。コミュニケーション力による格差がある現在、学校や職場という所属先を得て、安定して通い、働き続けるためには、「自尊心が低下した人物の自尊心がそれ以上低下しないという見通し」が必要です。いくら「将来どうするんだ!」「このままだと親が死んだら大変なことになるぞ!」と脅してみても、ますます厭世的な気持ちになるだけです。希望の無い社会に希望がないとますます確信させるだけです。「今どうするんだ」ということです。
心の底にあるダメージは残念ながら目に見えず、そのためになかなか信じてもらえず、時に見下され、ときに慢心やわがままと思われ、嫌われたり、人間性を疑われたりすることが起きやすいように思います。しかし、時代が変われば、あなたがその立場になるかもしれません。競争社会である以上、評価の上下はあらゆるところについてまわります。しかし、だからこそ、セーフティネットをしっかりと張っておくべきなのです。椅子取りゲームをしている以上、椅子に座り損ねる人はかならずいます。その人が座れなかったのはその人のせいではなく、椅子取りゲームのせいです。