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ブログ『誤解だらけの不登校対応』

「コミュニケーション力社会」



 企業の新卒採用条件で「コミュニケーション力」が登場しはじめたのは90年代後半くらいからで、2000年代初頭になると「最重要スキル」に位置づけられるようになりました(経団連「新卒採用に何晏するアンケート」)。グローバル化が進み、大企業は国際的に活躍できる人材を求めるようになりました。「難関大学を卒業したコミュニケーション力が高い人物」が求められる時代になったのです。


 かつて自動車・家電・半導体などで日本製品が世界市場を席捲していた時代、日本の第二次産業人口は30%前後でした。「3人に1人が第二次産業に従事していた」のです。第二次産業とは「鉱業・建設業・製造業等」であり、工場労働者はその代表的な存在でした。高度成長期の日本で彼らに求められたのは、勤勉さや規律の順守などの「真面目さ」でした。


 私はときどき「お子さんは誰かが見張っていなくても、コツコツと良い仕事をしようとするでしょうか?それともサボるでしょうか?」と質問します。すると、大多数の親は「前者です」と答えました。見ていると、「かつての日本では評価され、第一次産業・第二次産業で活躍していたような人材」が大勢いるように感じます。



 日本の製造業が続々と海外に拠点を移し、第三次産業人口が増加し、第二次産業でも協調性やグループワークが求められるようになってくると、だんだん「コミュニケーション力」が重視されるようになってきました。コミュニケーション力が重視されるようになり、今や日本において「コミュニケーション力」は学歴・学校歴に匹敵するか、それ以上の格差を生み出すスキルとなっています。


 


 そして、「コミュニケーション力」は学校において「コミュ力」という名前に置き換わり、スクールカースト上の重要な判別ファクターになりました。かつて「根暗」「根明」と呼ばれた層は「陰キャ」「陽キャ」となり、「コミュ力」は「社交実績」をも含む概念となって、学校は「コミュ力が高いものは自尊心が高まり、低いものは自尊心が低下せざるを得ない」という場になりました。


 


 校内の非行が社会問題化していた70年代から80年代後半、いわゆる「つっぱり」「ヤンキー」「不良」などと呼ばれていた層は、当時の学歴社会において、低学力であったり、家庭の経済状況で進学が難しかったりした生徒が多く、就職条件や収入レベルも低い傾向にあって、「そのままでは成績の悪い生徒として自尊心が低下するばかり」であったという状態があったりしたわけですが、今や建設業などのかつての彼らの就職先の待遇は以前より上がってきており、彼らの「コミュ力」は相対的に評価されるようになっていると感じます。


 


 いっぽう、かつて教室内で先生から見て「真面目な問題ない生徒」だったはずの層が、不登校を選びやすくなっているように感じます。


 社会は徐々に変化しており、10年、20年、30年単位では、かなり大きな変化となっています。親が若かったころとは異なる時代になっているはずです。「この子に問題があるからこうなった」では、なかなか読み解けない、考えたところで何も良いことがないという状態になるでしょう。「現在の社会のありようが、この子の生きにくさの背景にある」という理解をすることで、無用にその子を責めたり、一般的な進路選択を押し付けずに済むかもしれません。

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