「将来、何になりたい?」のリスク
若者にとって、将来はとても見えにくい不確定なものです。そんな彼らに大人たちは「将来は何になりたいの?」と気軽に問いかけたりします。
「問い」というのは、しばしば「答え」を狭める効果があります。「何が食べたいの?」と尋ねれば、それは食事をすることが前提になっています。
「将来何になりたいか」を問われ続けた若者は、将来を職業名で考えることを刷り込まれます。その結果、「声優」「小説家」「ゲームクリエイター」「アイドル」「配信者」など、ふだんから趣味・娯楽を通じて馴染みのある職業が浮かびやすくなります。
なぜなら、まだ働いたことのない若者は、職業そのものをよく知りません。知ったところで、良いイメージを持てるかどうかは別問題です。若者が、「何になりたいか」と問われ、そのとき持っている情報の中で、興味をそそる職業、関心を持ち続けられる職業、憧れの職業を口にしたとしても、おかしなことではありません。
しかし、問題はその職業が、「就くと自己実現が果たされる」かのような、「約束の地」と化してしまうことです。多くの若者が憧れ、目指しやすい職業は、当然のように競争率が高く、成功するのはピラミッドの頂点である一握りの人たちだけです。
実際に成功した人たちは、夢を持つ大切さ、諦めないこと、チャレンジ精神、その世界をこよなく愛することなどを素直に語ります。たしかに、それらが彼ら彼女らの成功にとって必要だったはずです。しかし、同じことをしたとて、成功する可能性はほんの僅かです。
私たちは、これまで多くの若者の進路をサポートをしてきました。競争率の高い職業分野を目指す人を応援してきたこともあります。親のみなさんも、「この子は、こうと決めたらそれしかないから」「夢を追いかけるのは良いことだから」「なれなかったとしても、目指す中で仲間に出会い、学びがあるだろうから」と、その進路を応援する人は少なからずいました。
私たちがそのときに声掛けしてきたのは、「もし望んだとおりになれなかったとしても納得できるかが、実質的にその世界を目指す者の資格になっているのではないか」ということです。一生懸命目指したけど手が届かなかった。そのとき、目指した努力を否定したり、その職業を悪く言ったりするくらいなら、目指さない方がいいと考えるのです。
ひきこもり型不登校当事者の場合、就労というのは、非常に大きなハードル、大きな壁と言っても良いくらいのものであることが多いわけです。そのとき、職業選択は事実上、消去法になります。「できるだけ苦手なことを避ける」「意欲が持てなそうな分野を避ける」。それから「やりたい・やってみたい職業名」を思いうかべます。
将来は「何になりたい?」と聞くより、「仕事に就くことについてどう思う?」「どうなりたい?」と聞くほうが答えやすいと思います。すると、素直に「できれば働きたくない」「人前で接客とか無理そう」「勉強していないし正社員は無理そう」などのネガティブなことや、「ブラック企業はいやだ」「怖い人がいないところがいい」「自信がもてるようなところなら」などと職業名に関係ない就労に関する希望を聞くことができやすいです。
昨今、魅力的な専門学校や各種学校の専門コースがたくさん用意されています。私たちは、本気でその職業を目指す若者たちには大変良いことだと思います。しかし、どこかで就労を恐れ、「他は全部やりたくないけど、これならば何とか」と賭けるような気持で目指す場合、入学後に「こんなはずじゃなかった!」となることも珍しいことではありません。
若者は、常に夢や具体的進路先を胸に抱いているわけではありません。むしろ、就労自体を恐れたり、不安がっている場合、そちらのほうに注目したほうが、結果的に就労しやすいと考えます。仕事は消費者として良いイメージを抱く職業名で選ぶだけでなく、「自分でもできそうだ」「ちゃんと必要とされる」「ストレスがあっても乗り越えていける」「成長を実感できる」といった側面から選ぶこともできるのです。