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ブログ『誤解だらけの不登校対応』

「明るい不登校」の強調しすぎに注意


 不登校サポートに関して、気を付けるべきことがあります。「明るい部分を強調しすぎること」です。

「不登校の子どもたちがこんなすごいことをしました!」

「新しい学びはこんなに素晴らしい!」

「こんな面白くてユニークな取り組みをしています!」

 

という明るい部分の極端な強調は、会員獲得のためには有効だと思いますが、「すごい」「素晴らしい」「面白い」「ユニーク」といった面を強調すること自体、「自分には価値がない」「自分は面白くもユニークでもない」と感じている多くの子どもたちの感覚とズレています。

 明るい部分を強調することに力が入りすぎると、「いかにもいいスタッフたち」が「魅力的な取り組み」を提示し、美しい成長ストーリーで信用を掴むやり方をするようになるでしょう。そこに「誇張」が生まれるわけです。


 不登校に限らず、教育に関する書籍や講演は、なんだか「いいひと」や「美しいストーリー」が氾濫しています。「子どもに寄り添う」「子どもに向き合う」「子どもの人権を守る」と、「いいこと」ばかりです。私は、不登校対応含め、教育が「いいひとをやっていればどうにかなる」と思いすぎではないかと思います。「いいひとがいいことをして、困っている人たちを救う」のような考え方は驕った考えです。私を含め、不登校サポート業界は、別にいいひとの集まりではありません。

「子どもは全員学校に行くべきで、学校に行かないことは悪である」という時代には、不登校を認めることや、その地位向上のために、背伸びをしたアピールに効果があったと思います。しかし、逆効果も生んだはずです。

単純なメッセージで「ありのままを受け容れましょう」「子どもの話に耳を傾けましょう」「意志を尊重しましょう」などと大衆心理学のようなメソッドが強調されて伝わりますと、まるで悟りを開くための修行のようになってしまいます。すると、うまくできなかったときに、「自分は親としてダメなんだ」と思わせてしまいます。本来、子育ての悩みは簡単に解決できるものではありませんが、簡単に理解できるものは美しく、妄信しやすいのです。

私は人前でやたら「いいひと」を演じるような人のことは警戒しています。社会的に良いと言われることをしているような団体や個人を「ソーシャル・グッド」と呼ぶことがありますが、私はそのような活動をしている人間が、自らを「いいひと」に見せたがるのは、本質ではなく表面的なイメージで信用を得ようとしているように見えてしまいます。

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