「やりたいことを応援」の誤解
口に出しただけかもしれない
やりたいことを応援するのは、良い場合も多々あります。しかし、やみくもに子どもがやりたがることを応援するのはリスクがあります。注意しなくてはならないのは、「意志は常にひとつにまとまっているわけではない」ということです。「口から出てくるときにはひとつしか出てこないので、あたかもそれがまとまったものだと受け取られがち」なのです。
たとえば、「アルバイトをしてみたい」と子どもが親に言ったとします。この言葉を親がそのまま受け取って喜び、「ようやく動き出す気になってくれたか!」と、アルバイト探しを積極的に応援したとします。
「ハローワークに相談してみてはどうか?」
「好条件な求人情報を見つけた」
「経営者の知人に頼んでみようか?」
など、たくさんの働きかけをするのは「わが子のやりたいことを応援するため」です。
ところが、「アルバイトをしてみたい」と言った子は、親が積極的に情報提供をしてくることに対し、反応が薄く、時に迷惑そうな顔をしたりするかもしれません。親はこう思うでしょう。「自分でアルバイトがしたいと言ったから応援したのに!」と。
親は苛立ってくるかもしれません。そして「あなたがアルバイトをしたいと言うから、こっちは応援しているのに、一体いつになったらバイトをするの?」と怒りをぶつけてしまうかもしれません。このようなことは、口から出た言葉だけを聞いているせいで起きる悲劇です。
親は「アルバイトをしたい」という言葉にのみ反応しました。しかし、言葉以外の部分では「アルバイトをしてみたい・・・とは思うが、いざやろうと思うと腰が引けてしまう」とか「自分はもう一生働けないのかもしれないと思って凹んでいる」といったニュアンスが含まれているのかもしれないのです。
社会的行動を避けがちな若者は、シンプルに「やりたい」「やりたくない」が分かれていないことも多く、「やりたいけど、不安がある」「避けたいけど、避け続けるのも嫌だ」「やりたくないが、やらないともっと大変なことになる」といった、矛盾した心のベクトルを抱えていることが多いものす。その場合、「口から出てきた言葉」だけを受け取り、その言葉を応援するということは、「相反する意志のうち、片方しか応援していない」ということになります。
似たようなことは「対人関係」「生活習慣」「進学」など様々な領域で起きます。「そのときやりたいと言ったこと」と「やりたいこと」とは別物かもしれません。「ようやく、やりたいことが口に出せるようになった」という段階もあることを知ってもらいたいと思います。
明るい部分だけしか見ていないかもしれない
また、実際に行動に移ったときに何が起きるかをよく調べずに、その分野の明るい部分だけを見て行動に移そうとしているかもしれません。親は「何であれ、行動を起こすことは良いことだから」とその動きを応援したとします。しかし、大いに挫折をして撤退してきたときには、「もう夢なんか見ない」とばかりに激しく落ち込んでいるかもしれないのです。
とくに、ふだん親しんでいる趣味や娯楽の延長線上の分野にこだわった進路選びをする若者は多いと思います。たとえば「声優」です。アニメによって支えられた若者は多いと思います。自分もその世界と関わり、その良さを知ってもらいたいと思う気持ちは尊いものです。ただ、同じように考える若者が非常に多いために生まれる厳しい競争のことまでも織り込んでいるかどうか。それが問題です。
知識として狭き門だということは知っていても、実際に専門学校の声優コースに進み、一生懸命勉強し、勇気を出して表現を磨き、養成所に所属し、オーディションを受けまくっても採用されず、養成所に許された所属期限を過ぎて別の職業を選ばざるを得ない現実のほうがありえる未来です。「それでも、同じ夢を見た仲間との交流や、人前で自己表現することや、何かを目指して努力することに大きな意味があった」と考えられる覚悟や、「声優になれるかどうかより、今興味を持てることをリアルに学びたいんだ」という現実を踏まえた考えがあるかどうか。
たとえば「専門学校を卒業したあとは、声優の仕事によって生活が軌道に乗るまではコンビニなどでアルバイトをしてでもやっていく覚悟はあるか?」と聞いたときに「え?なんでそんなことしなきゃいけないの?」というような反応だとしたら、その子の声優の夢は、「なれたらいいなあ」であって「なろう」ではない夢かもしれません。
たまに現実を離れて夢想の世界に浸るのも悪くありません。それを語ることもあっていい。ただ、それを職業にまで結び付けて期待するのは行き過ぎかもしれません。
好きなことくらいは
まったく外出しないような子が、好きなアーティストのライブやコンサートには出かけるとしたら、親は是非応援してあげたくなると思います。できることならば、応援してあげて欲しいと思います。
ただ、チケットの抽選に応募したり予約してあげ、チケット代を払い、会場までのアクセスを調べてあげ、近隣のホテルを予約してあげ、食事する場所を探して予約して代金を支払ってあげ、スケジュールをたててあげ、一緒に付き添ってあげ、グッズを買ってあげのようなことは応援と言うより接待に近いような気がします。
私は「好きなことくらい、できることはしましょうよ。そのほうが楽しいかもよ」と思います。自分でチケットを手配して、交通アクセスも調べ上げ、スケジュールを立て、お金も親から当たり前のように受け取るのではなくて、家事を引き受けたりしたほうが、アーティストも嬉しいんじゃないかと思います。できる人はアルバイトをしてお金を貯めたらいいのに、と思います。何がどこまでできるかは人それぞれです。あくまで「できることはしましょうよ」です。
親が応援するのは「わが子を喜ばせたい」という動機ですが、その子が自分で好きなことを手に入れることができるように応援することも大切です。能動的に好きな世界に関わることも喜びのひとつになっていくといいなあと私は思います。