「やりたいことを応援」の誤解
やりたいことを応援するのは、良い場合も多々あります。しかし、やみくもに子どもがやりたがることを応援するのはリスクがあります。注意しなくてはならないのは、「意志は常にひとつにまとまっているわけではない」ということです。「口から出てくるときにはひとつしか出てこないので、あたかもそれがまとまったものだと受け取られがち」なのです。
たとえば、「アルバイトをしてみたい」と子どもが親に言ったとします。この言葉を親がそのまま受け取って喜び、「ようやく動き出す気になってくれたか」と、アルバイト探しを積極的に応援したとします。「ハローワークに相談してみてはどうか?」「好条件な求人情報を見つけた」「経営者の知人に頼んでみようか?」など、たくさんの働きかけをするのは「わが子のやりたいことを応援するため」です。
ところが、「アルバイトをしてみたい」と言った子は、親が積極的に情報提供をしてくることに対し、反応が薄く、時に迷惑そうな顔をしたりするかもしれません。親はこう思うでしょう。「自分でアルバイトがしたいと言ったから応援したのに」と。
親は苛立ってくるかもしれません。そして「あなたがアルバイトをしたいと言うから、こっちは応援しているのに、一体いつになったらバイトをするの?」と怒りをぶつけてしまうかもしれません。このようなことは、口から出た言葉だけを聞いているせいで起きる悲劇です。
親は「アルバイトをしたい」という言葉にのみ反応しました。しかし、言葉以外の部分では「アルバイトをしてみたいとは思うが、いざやろうと思うと腰が引けてしまう」とか「自分はもう一生働けないのかもしれないと思って凹んでいる」といったニュアンスが含まれているのかもしれないのです。
社会的行動を避けがちな若者は、シンプルに「やりたい」「やりたくない」が分かれていないことも多く、「やりたいけど、不安がある」「避けたいけど、避け続けるのも嫌だ」「やりたくないが、やらないともっと大変なことになる」といった、矛盾した心のベクトルを抱えていることが多いものす。その場合、「口から出てきた言葉」だけを受け取り、その言葉を応援するということは、「相反する意志のうち、片方しか応援していない」ということになります。