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ブログ『誤解だらけの不登校対応』

「傾聴」の誤解


 「子どもの話に耳を傾けましょう」は、心理サポートの基本ですが、そのメッセージを単純に訴えすぎると弊害も生まれます。典型的なのは、「子どもの話を否定せずに最後まで聴くことが傾聴である」という理解をし、親が子どもの話を聞くときに「我慢しながら・苦痛を感じながら聴く」という状態に陥らせてしまうことです。


 親は臨床心理の専門家ではないので、「否定しないで聴け」というメッセージに素直に従ってしまいますと、「子どもの話を肯定的に聴けない私はダメな親なのだ」「子どもが言うことに何でも従わなければならないのだ」などと誤解を生じてもおかしくありません。

とくに、子どもの発言に過激・悪質な内容が含まれていた場合、返答に窮してしまいます。たとえば、子どもが「死にたい」と言った場合、親は返答を迷うでしょう。そんなとき「『私メッセージ』が良い」と教える人もいます。「あなたはそう感じているのね。でも私は死んで欲しくはないのよ」という返事のしかたです。しかし、観察眼が鋭い子どもは、親が内心、何を思っているかを見逃しません。「わかったようなことを言っているけど、ありがちなテクニックで対応している」と受け取るかもしれません。

 親に関心を持って話を聴いてもらいたい子どもは、うわべだけ聞いているふりをしてもらいたいわけではありません。「否定しないことが正解だから」という理由で受け止められても嬉しくありません。「とにかく傾聴すること」のような単純化した受け止め方をせず、傾聴にまつわるリスクについても考えなくてはなりません。

 話している側は、ある程度吐き出してスッキリしてくると、今度は双方向のやりとりもしてみたくなってくるものです。そうなると、質問をしたりします。「お母さんはどう思う?」などと。そのとき、答えに詰まってしまうと「この人はただただ聞くだけで、何も考えてはいなかったんだ」と思うかもしれません。

 適当に合わせてしまうと「本心とは違うことを言っている。信用できない」となるかもしれません。反対意見を述べれば「だったら、言わなきゃ良かった」となるかもしれません。はぐらかしても「そろそろ返事を聞いてもいい?」となるかもしれません。表面的かつ単純なテクニックで傾聴を用いることは危険です。

 傾聴自体はとても大事なことで、心理療法家も日々研鑽を積んでいることです。安易な傾聴はかえって子どもからの信用を失う可能性があります。

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