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ブログ『誤解だらけの不登校対応』

「共感」の誤解


 不登校・ひきこもりに関する書籍を読んでいると、しばしば「共感しましょう」というメッセージに出会います。実際、共感をもって子どもに接しようとしている大人は多いでしょう。その恩恵を受けた人もたくさんいるでしょう。しかし、共感は、しようと思って必ずできるほど簡単なものではありません。

「共感(エンパシー)」とは「本来は自分のものではない、他人の感情によって生じる代理的な感情体験」(心理用語集「サイコタム」より)です。感情体験ですから、他人の感情に近い感情が自らに湧き起らなくてはなりません。そうなると、「共感しやすい感情体験」と「共感しにくい感情体験」が出てくるはずなのです。

 共感は「経験や立場や性格や価値観が近い人間どうしでは生じやすいが、経験や立場や性格や価値観が遠い人間どうしでは生じにくい」という特徴があります。共感力が高い人なら多くの人と共感することは可能かもしれませんが、全ての人間・全てのシチュエーションに共感できる人はいません。

 つまり、「どうしても共感できない」ということは容易に起こり得ることなのです。問題は「共感しようと思ってもできなかった人が、共感が正解だと思って無理に共感しようとすること」です。共感は「感情体験」なので、無理に共感しようとした瞬間、共感ではなくなってしまいます。「共感が大切」という単純なアドバイスが、大量の「共感でないもの」を生み出している可能性があります。

 「とにかく子どもの言っていることを否定せず、全てを肯定的に受け止め、感情を共有しているかのように振る舞う」ということをやってしまっている人は多いと思います。しかし、わが子を思うあまり、無理して「共感したふり」をしてしまうと、観察力の鋭い子どもは、「ウソ臭さ」を感じて不信感を抱くかもしれません。

共感は、しようと思って確実にできるほど簡単なものでなく、形ばかり演じればむしろ危険です。

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